このサイトについて

私が初めて東ドイツに足を踏み入れたのは1973年の東ベルリンでした。その後80年代の半ばまでに東ドイツ北部のほか、南部のチューリンゲン、ザクセンなどを訪れる機会がありました。当時、東ドイツは西側への国境を鉄条網などあらゆる手段を動員して固く閉ざしており、いったん東ドイツに入るといやが上にも緊張感が高まりした。

ソ連・東欧圏の優等生といわれた東ドイツでしたが、アウトバーンの路面はがたがた、国道も石畳が続き、街中の建物の多くが戦禍の跡を残したまま、傷むにまかされていました。周囲のペンキがはがれ、ガラスが汚れたショーウインドウの中にはソ連と東独の国旗以外に商品はほとんど何も陳列されておらず、発展する西ドイツと比べた時の経済的遅れはあまりにも大きく、他人事とはいえ、気持ちが沈むのを禁じ得ませんでした。

唯一の救いはそこに住む一般の人たちで、西側のように商業主義に汚されず、まさに学生時代に読んだ小説に出てくる素朴でまじめなドイツ人そのものでした。しかし、その人たちの将来展望も明るいものとはいえませんでした。東西ドイツがお互いを国として承認し合ってから間もない70年代のはじめでしたが、ライプチッヒで見本市参加の仕事を手伝ってくれた女学生は東西ドイツの間で行き来ができるようになるのは50年先、あるいは自分が生きている間は不可能ではないかと悲観的でした。

しかし、東西の壁はその後15年あまりで崩れ、私はその10年後にベルリンに赴任して旧東ドイツ地域を対象とする仕事に携わることになりました。*
管理人:伊崎 捷治

1942年岐阜県生まれ。東京外国語大学ドイツ科卒。
政府関係機関で海外市場調査、海外広報、海外経済情報の提供などの業務に従事。その間、ドイツ各地に計約15年、米国に約4.5年駐在。
趣味:読書(歴史・歴史学)、写真、絵画、日曜大工など。

* さらに、2002年末には旧東ドイツの経済的中心地であったドレスデンへ移ることになりました。もちろん、旧東ドイツで仕事をすることなど考えてもみませんでしたが、昔の東ドイツを垣間見た者としては、新しい東ドイツがその後どのようになっているのか、これからどうなっていくのか大いに関心をそそられました。

このホームページはそのような関心から収集した旧東ドイツやドレスデン、ザクセン州に関する情報を同時期にドレスデンで生活されていた日本人のみなさんにも利用いただければと考えて作り始めました。しかし、あれもこれもと間口ばかり広げてしまい、本来意図したところにたどりつくに至らないまま帰国してしまいました。一方で、東部ドイツは発展を続け、いくつかの面では西部ドイツを追い越すほどにもなっており、いまさら「旧東ドイツは」などという時代ではなくなってきているかも知れません。

現場からは少し離れてしまったことでもあり、これからはそれなりの年数を過ごしたドイツをふり返りながら、遠く離れた日本から見てこれはと思う事柄を少しずつ採り上げて見ようと思います。


 
<ソ連との友好関係の促進を謳った看板>
1975年5月4日 旧東ドイツWismar近郊で撮影
内容については長男から「たくさん書けばいいというものではない」と批判されています。ただ、ホームページの体裁だけは帰国後に見よう見真似で改善して、少しだけ見やすくすることができました。ドレスデンを訪問される方やザクセンについてお調べになる方のご参考にでもなれば幸いです。

内容については保証の限りではありませんが、ご覧いただいた方々からどんな面からでも結構ですので、ご批判、ご意見をいただければ幸いです。
宛先: hallo-at-de-info.net ( -at- は@に書き換えてください。)

なお、掲載した写真は一部を除いてすべて自分で撮影したもので、提供いただいたものにはその旨記しました。

2008年5月(2012年10月03日更新)
ドレスデン情報ファイル 管理人 
     
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