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ドレスデン情報ファイル

歴史上の人物

コーゼル夫人

アウグスト強王の寵愛を受けて権勢をほしいままにしたコーゼル夫人はやがて王の怒りを買い、その後49年間にわたって一人古城に幽閉されたまま85歳の生涯を終る。

ドイツ北部のPlön近郊にあるDeppenauに貴族の娘として生まれる。幼少の頃から化学的事象に関心を持ち、医薬、数学、醸造など学問に造詣が深く、さらにはヨーロッパの政治にも詳しい美貌の主であった。結婚してPillnitzに住んでいた頃、アウグスト強王が見初め、強王は自分の側室になることを条件に巨額の年金を約束し、本妻の死後は正式の妃にすることなどを含む秘密の契約を結んだ。Cosel夫人はそれまでの夫と離婚した後、Taschenberg宮(現Hotel Kempinsky)やPillnitz城を与えられ、国王の寵愛のもとで9年間にわたって政治を含むあらゆる分野で権勢をほしいままにした。

転機はアウグスト強王がポーランド王を兼ねるに際して訪れた。Cosel夫人はポーランドにおける政治をめぐって国王と対立、国王が政策上ポーランドにも側室を持つに至って不仲が決定的となった。Cosel夫人は秘密の契約を盾に対抗しようとしたが、これがかえって国王の怒りを招き、ベルリン、ハレなどを巡る逃避行の末に捕らえられ、結局Stolpenの要塞に幽閉されてしまう。当時33歳であった夫人はその後85歳で死ぬまでの49年間を暗く冷たい石の壁の間で過ごした。
コーゼル夫人のゆかりの建物や史跡もいくつかあり、上記のTaschenberg宮やPillnitz城のほか、エルベ川の2隻の大型遊覧船も「アウグスト強王」と「コーゼル夫人」のペアとなっている。

2021.01.15