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  ザクセン州の自動車産業
  1. 歴史と現状
ドイツ自動車産業発祥地のひとつ

ザクセン州はドイツでも最も早く自動車産業が興された地域のひとつである。ザクセンの自動車産業は、今からちょうど110年前の1904年にアウグスト・ホルヒ(August Horch)がツビッカウ(Zwickau)で自動車の製造を開始したことに端を発する。ホルヒが製造した乗用車はこれまでにドイツで作られた自動車の中でももっともエレガントな高級車として今も語り継がれている。ホルヒに続いて、Dixi、Wandererなどの自動車メーカーが次々に生まれ、ザクセンの自動車産業はその後四半世紀にわたって大きく発展した。
しかし、その自動車産業も1932には世界的経済恐慌に巻き込まれた。この苦境に対して、ツビッカウのホルヒおよびでAudi、そしてチョパウ(


Zschopau)のDKW, ケムニッツ(Chemnitz)のWandererの4社は力を合わせて立ち向かうことを決め、Autounion AGとして新たなスタートを切った。これが現在のAUDI社である。同社のマークは4つのリングであるが、それは上の4社が結集して生まれたことに由来する。
ザクセンでは自動車産業がこのように早くから発展し、同地域の機械工業など、産業技術の発展に大きな刺激を与えた。
こうした歴史から、ザクセンは戦後の東ドイツ時代も自動車産業の中心であったし、東西ドイツの統合後も西ドイツの自動車メーカーがいち早く新鋭工場を建設し、今ではドイツの自動車生産の大きな拠点のひとつとなっている。
東ドイツ時代の自動車産業

戦後の東ドイツ時代には戦前の自動車産業の伝統をベースに1958年以降ツビッカウで国民車トラバント(Trabant)が生産され, 近隣の
 
     <東ドイツの乗用車トラバント>


Chemnitz, Zschopauなどの地域でも乗用車部品の生産が行なわれた。また、伝統的な自動車製造の基盤にたって、バス、トラックなども多くがザクセン州周辺で生産された。
しかし、東ドイツ政府は乗用車生産には必ずしも重きを置かず、自動車製造技術は次第に遅れをとっていった。
それでも、1970年代の後半にはようやく自動車産業の再編・強化が計画され、西ドイツからVWのエンジン製造技術を導入するなどの努力も払われた。しかし、効率や技術の面で確たる成果がないまま東西ドイツ統合を迎えるに至る。
統合後の復活

したがって、東西ドイツの統合当時は東ドイツの自動車産業の競争力は世界の水準に遠く及ばず、事実上消滅の瀬戸際に立ったが、ドイツの自動車メーカーの多くが新規工場の設置に当たって自動車製造の伝統もあるこの地域を選び、自動車産業の復活が始まった。まずOpelが隣のチューリンゲン州Eisenachに近代的な工場を建設した。この工場は当時の自動車製造技術の粋を集めた工場といわれた。そして、ザクセン州では、東ドイツ時代に技術を提供していたフォルクスワーゲン社がいち早く進出を決定、ツビッカウ近郊のモーゼルに乗用車
  
  <完成近いプラハ方面へのアウトバーンA-17>

 <ドレスデンの中心街に近いVW社のガラス張り工場>

製造工場を建設するに至り、ザクセン自動車産業の本格的復活が始まった。ザクセン州では、その後も西側から完成車メーカーの進出が続き現在は上記のようにVW社がツビッカウ(モーゼル)に乗用車生産工場工場、ケムニッツにエンジン工場そしてドレスデンに最高級車フェートンの組み立て工場を稼動させている。また、Porsche社がライプチッヒで高性能SUVのCayenneおよび最高級スポーツカーCarrera GTを生産しており、同じくライプチッヒの郊外ではBMW社が従業員5,000人規模の3シリーズ生産工場を2005年5月の稼動開始に向けて建設中である。
こうした自動車メーカーの周辺には戦前からの機械工業や自動車工業の伝統を受け継いだ優れた部品メーカー、最新のエレクトロニクス技術を備えた関連企業が数多くあり、新たに進出企業も加わって自動車産業を支えている。
 
日本からの進出企業も活躍

自動車産業はザクセン州の工業生産の20%あまりを占めて、もっとも重要な産業となっている。州政府としても"Autoland Sachsen"とのモットーのもとに、育成・促進に最も力を入れている分野のひとつで、西部ドイツのみならず、イタリアや米国などの部品・関連用品メーカーの進出も活発であり、ザクセンは再びドイツ自動車産業の一大拠点となろうとしている。


日本からもタカタ、豊田自動織機・デンソー、長野計器、東郷製作所、日立製作所など関連企業が進出し、ドイツ車向けを中心とする部品の製造などを行なっている。ザクセン州はチェコ、ポーランドなど周辺諸国に進出した日本の自動車および関連メーカーの部品供給基地としても重要な役割を果たしている。
2004年9月、自動車産業100年の歴史を記念してツビッカウに近代的な自動車博物館が開設された。
  2. 主な企業
フォルクスワーゲン

東ドイツ時代にTrabantが生産されていたツビッカウに子会社フォルクスワーゲン・ザクセン社(Volkswagen Sachsen GmbH)を置き、この本社工場で主として輸出用のGolfおよびPassatの生産を行なっている。
従業員数は約6,200人で、2003年の生産台数は20万5,100台。
また、ケムニッツ工場でエンジンの生産を行なっている。


従業員数は約900人で、2003年は直噴式ガソリンエンジン、低燃費のTDIエンジンなど57万3,400台を各地の自動車工場向けに生産。
さらに、ドレスデンでは中心街に近い「大庭園」の一角に設けられた「ガラス張り工場」でフォルクスワーゲン車としては最高級のPhaetonの最終組み立てを行なっている。この工場では近く英国車Bentleyの組み立ても予定されている。
 
ポルシェ

高性能SUV(スポーツユーティリティー車)生産開始に伴う生産能力拡充のため、ライプチッヒ市北郊に子会社ポルシェ・ライプチッヒ社(Porsche Leipzig GmbH)を設置、2000年2月に工場建設を開始した。2002年12月、SUVカイェン(Cayenne)を市場に送り出す。米国向けを中心に好調な売れ行きを記録し、Porsche の業績向上に大きく貢献して


いる。
その後、2003年8月には道路を走るレーシング・カーといわれる911GTシリーズの生産を開始した。2004年には好調な売れ行きを背景に工場の拡張を実施。
試走用のサーキット、オフロード試走用のゲレンデなども備えた広大な施設である。
 
BMW

好調な業績を背景に、1シリーズの導入、X-シリーズの拡充、6シリーズの生産再開などに伴う生産能力の拡充を計画し、2001年ライプチッヒ市の北部に立地を決定。3シリーズの2005年5月生産開始をめざして新鋭工場を広大な敷地に建設中。投資額は13億ユーロに達する見込みで、従業員数は5,500人規模の予定。同社の工場進出によって、周辺地域ではほぼ同数の新規雇用が期待されている。


 旧東ドイツも周辺の中・東欧諸国と比べると労働コスト等が高いが、ヨーロッパ各地の250箇所に及ぶ立地候補地の中から結局ライプチッヒが選定されたのは現地の誘致策のほか、優れた人材の確保が可能なこと、フレキシブルな勤務体制のもとで効率的な生産活動が可能なこと、物流などのためのインフラが整っていることなどが挙げられている。
 
ネオプラン (NEOPLAN)

州南部のPlauenに2002年末に工場が完成。生産技術研究等の事業を開始、州関係機関との協力で安全性、バス輸送業に対するコンサルティングなどを目的とするNeoplan-Akademieを置いている。
2005年には同社のバス用のシャーシーの生産を開始する予定。
   
   
   -- ドレスデン情報ファイル 2005.02.06--