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       「法学者の王」が愛用した谷間の城
ドレスデン中心部から南東へ約15km。Mueglitzの谷をAltenberg方向に約5km遡った岩山に立つ。城の名称は白い岩(Weesenstein)に由来する。


<中国をテーマにした居室のひとつ>
神聖ローマ帝国が成立した当時、この城があるDohna周辺はボヘミヤへの対抗上重要な拠点のひとつであり、新たにDohna伯を配置するなど強化が図られた。1040年、皇帝ハインリッヒIII世がボヘミヤヘの進軍にあたりマイセン辺境伯EkkehardtII世のザクセン軍とマインツ司教軍をここで統合させたとされる。
Dohna からMueglitz川を遡った要衝の地に立つWeesensteinの城は南側のエルツ山地に向かう通路が防衛上重要性を増すに伴って体勢強化の一環として築かれた。
最初の建物は1200年ころに建てられたようであるが、歴史に初めて記述されたのは1318年。以降、1402年までは von Dohna伯家、von Buenau家な
どの所有を経て、次第に現在の姿を整えてきた。
皇太子時代からロマンティックな城を所有することを夢見ていたザクセン国王アントン(Anton)が1830年に買収し、Wettin家の所有となった。
Weesennstein城の所有者として最も知られるのはその後ザクセン国王となったヨハン(Johann, 1801-1878)で、この国王は学問や政治に秀で、 ダンテの神曲をドイツ語に訳したことや、「法学者国王」あるいは「法学者の王」と呼ばれたなど、国民から高い尊敬を受けた。 ゼンパーオペラ前に立つ騎馬像はヴェティン家800年記念に際してこのJohann国王をたたえて建てられたものである

城の一部は博物館になっており、王族が使用していた部屋などを当時の状態のままで見ることができる。
2004年5月15日から9月26日まではGerhard Baetz, Manfred Kiedorfs両氏による近世宮廷の様子を再現したミニチュア展が開催された。 紙を材料にした作品は精細を極め、参観者を魅了していた。(下の写真)



      <宮廷内の催しを模した紙製のモデル>


<南側の庭園から望む>
-- ドレスデン情報ファイル 2004.05.16 --