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   ツシェンドルフ城の椿園
       (Botanische Sammlungen u. Landschloss Pirna-Zuschendorf))
240年前に日本から椿がもたらされて以来、椿の植栽はザクセンの伝統のひとつとなっている。椿は旧東独時代にはソ連や東欧諸国への重要な輸出品目であったようだ。
ドレスデンから東へ25kmほどの小さな町にあるピルナ・ツシェンドルフ城の庭ではドレスデン工科大学の指導の下で合わせて1,500㎡ほどの温室で椿の栽培が行われている。コレクションは約220種で、州が収集・栽培している品種がすべて揃っている。毎年3月から一般に公開されており、椿のコンテストが行われることもある。

<ピルナ・ツシェンドルフ城>

<植物園の温室>
   
ザイデルの椿コレクション
以下は「植物コレクション・ピルナ・ツシェンドルフ城(Botanische Sammlungen und Landschloss Pirna-
Zuschendorf)のホーム・ページ www.kamelienschloss.deの要旨を和訳、動植物園に提供したものをここに掲載させていただくものです。
東アジア原産の椿は船乗りがヨーロッパに持ってきたもので、八重咲きの白い花を咲かせるジャポニカ種“Alba Plena"がはじめてヨーロッパにもたらされたのは1792年であった。

当時、ヨーロッパではアジアへの関心が高く、急速に普及し、19世紀の流行の花となった。舞踏会には欠かせない花として王侯貴族の高価なコレクションの対象になり、アレクサンドル・デュマの「椿姫」に代表されるように、いろいろな文学作品にも取り上げられるようになる。

ザクセンとのかかわりでは、宮廷造園師のJohann Heinrich Seidelの4人の息子の一人であるJakob Friedrichがパリの“Jardin des Plantes"で修行していた際、冬に開花する椿の価値が高いことに気づき、1812年にドレスデンへ持ってきた。
Jakob Friedrich Seidelは1832年に弟のTraugott Leberechtとともにプラウエンの小さな横丁で園芸業を開き、これが次第に椿を専門とするようになっていった。ここでは、温室を使った植物栽培が初めて行われたが、注目されるのはザイデル兄弟がそれまでのいわば「実用造園業」に代わるコマーシャルベースの「園芸業」を始めてスタートさせたことである。
その後、多くの業者がこれに倣い、ドレスデンは19世紀半ばにはヨーロッパにおける椿栽培の一大中心地となっていった。
<「羽衣」と名づけられた品種>

ザイデルが扱う椿は1824年には19種であったが、1842年には1,100種にも達し、年間10万本を生産していた。ザイデルは19世紀半ばにはロシア市場にも進出し、1834年には5,000本の苗をぺテルブルグに向けて発送したほか、フィレンツェやマドリッドなどヨーロッパ各地へも販売した。
ザイデルの園芸店はヨーロッパでも有数の名所となり、特に毎年春にはヨーロッパ各地から椿を見たり買ったりするために大勢の名士がドレスデンを訪れた。各地で開催される展示会にもザイデルの椿は欠かせないようになった。

さらに中国や日本から新種がもたらされるようになると、英国、ベルギー、フランス、イタリアなどでも盛んに新種の栽培が行われるようになった。
 ザイデルは主として種を維持したり、ドイツに適した種を確保したり、また、雑多な種の中から最も優れたものを選別して育成することに力を注いだ。

ザイデルの椿は品質がよく、出荷される品種に間違いがなく、信頼できることで知られた。また、「挿し木」の技術を向上させ、1830年代にはすべての品種を同じ条件のもとで長期間安定して育成できるようにした。そうした過程で、育成する品種も従来の1,100種類から1862年には「八重咲きで、開花させるのが容易な」500種にしぼっていった。

その後もさらに選別が行なわれ、76種が残ったが、その中でも1792年の“Alba Plena"および"Variegata"、1806年の"Buff"、1824年の"Althaeiflora"および“Ladu Campbell"あるいは1832年の"Tricolor"など古くからの品種は現在にも伝えられている。また、ザイデル家の歴史を物語るものもあり、たとえば、ヘルマン・ザイデルが妻のミンナ・シドニーにちなんで名づけ、カタログに「あらゆる椿の中で最も愛らしい」とした“Minna Seidel夫人”(1883年)、その息子たち2人はデンマークの将校の娘姉妹と結婚したが、それぞれにちなんだ“Herme”(1891年)、“Emma"(1897年)がある。娘の一人の名をとった“Frau Dr. Schiffner”というものもある。

王族にちなんだものとしては“Prinz Albert"(1841年)、"Prizessin Luise"があり、 ベルギーの有名な栽培師に由来する"Mathotiana Alba"(1858年) "Mathotiana Rubra"(1847年)、アメリカの"C.M. Hovey"があり、英国のAlfred Chandlerに由来する1831年の"Chandlers Elegance"は現在でも代表的な品種となっている。
育成される椿の種類が減らされていったのは1890年以降流行が廃れていったのと、つつじが栽培の主流となっていったことによる。ザイデル園芸所では第1次大戦後は椿が生産全体に占める割合は数パーセントにまで減ってしまったが、それでもザイデルが選定し、育成してきた種は第2次大戦中も維持されてきた。

ザイデルの園芸業は1946年に国有化され、1956年/57年には1897年時点における取扱品種がドイツ民主共和国の指定栽培種に指定された。1956年にはザイデル園芸所の主席園芸師をたたえた“Bernhard Lauterbach"が発表された。旧東独では主として"Chandlers Elegance”、"Lady Campbell“などを1989年まで輸出していた。

東西ドイツの統合後、旧ザイデル園芸所は信託公社によって解体され、跡地は住宅地として利用されることになったが、当時のドレスデン国有園芸所の職員が苗木を守り、その後、苗木はZuschendorfへ移されるところとなった。

ザイデル家が揃えていたコレクションは1993年に特別記念物に指定され、現在はザクセン州の財産として保護されている。他の植物園などでは椿の品種をできるだけ多く展示するよう努めているが、このザイデルの椿コレクションでは椿栽培の歴史やザクセン州における生産の歴史を代表する比較的少数の品種が育成されている。したがって、品種としては純粋で、価値の高いコレクションとなっている。

ヨーロッパにおいて200年近くにわたって育成されてきた椿のうちいくつかの品種は今日でも標準種となっているが、参観者用には多種多様な品種の中から約100種類と最新種の代表例、野生種(黄色の"C. nitidissima“など)が展示されている。

当植物園における最も古い品種の中にはエーリヒ・ヘルマン園芸で扱っていた5種がある。同園芸所は1874年に開業し、ザイデル園芸所からも苗を仕入れていた。その中でも最も古い"Chandlers Elegance“は1885年のものである。それよりもやや新しいものとしては"Herme Rot”、"Admiral Campbell“、"Mathotina Rosea”、"Principessa Biciocchi“がある。

当植物園はザクセン州における椿栽培の振興のため、栽培用資材の提供も行なっている。

1,500㎡の温室には約220種のコレクションが毎年3月から一般に公開されている。
 
   
   
   -- ドレスデン情報ファイル --